少年法改正法案に反対する意見書を上川陽子法務大臣に提出(2021.3.12)

2021年3月12日、当協会少年法改正問題研究会は、上川陽子法務大臣に対し、少年法改正法案に反対する意見書を提出しました。 「改正法案は、18歳及び19歳の者を「特定少年」とし、刑事司法制度上の取扱いを変更して、刑罰権の適用範囲を拡大し、現行少年法の重要な規定の適用を除外するが、このことは少年法適用年齢の実質的な引下げとなり、国の少年非行対策に関わる重大な問題である。 現在有効に機能している少年法の制度と実務における運用の実績に鑑みれば、立法事実も認められない中で、明確な理念も示さないまま「特定少年」という新たな概念を導入し、18歳及び19歳の者について、刑罰権の適用範囲を拡大するほか、健全育成の理念に基づいて設けられた少年法上の規定の適用除外規定を設けて20歳以上の者と同様の規制に服させることは、その必要性も合理性も認め難く、適切な方策とはいえない。 当研究会は、以下の理由により、少年法適用年齢の実質的な引下げとなる上記改正法案に反対する。」(意見書の趣旨より) ※ 意見書全文は ↓ をご覧ください。 少年法改正法案に反対する意見書

第三者の関わる生殖医療技術の利用に関する意見書

日本女性法律家協会 2017年6月10日 意見の趣旨 1 生殖医療技術の許容性と限界について,広く国民的な議論を行って,一定のコンセンサス(合意)を得るべきである。 2 生殖医療技術に関する法規制と子どもの出自を知る権利を保障する制度的な手当を行うため,立法的な解決を図るべきである。 3 生殖医療技術に関する法規制の中身を考えるに当たっては,生まれてきた子ども,利用者,提供者のそれぞれの個人の尊厳と権利を保障する制度を構築すべきである。 4 多様な家族の在り方を許容する社会を作り,親子・家族に関する法律を,多様な家族関係を肯定し,個人の尊重を基本理念とするものに改めるべきである。   意見の理由 第1 はじめに 結婚し,子どもに恵まれることを望みながらも,恵まれない夫婦がいる。昔なら,不妊は女性のせいにされ,「3年子無きは去れ」などと離婚が正当化されていた。しかし,子どもに恵まれないのは,女性の側だけでなく,男性側に無精子症などの原因がある場合もあることが分かってきた。そのような夫婦が,第三者から精子提供を受けて人工授精させる方法により子どもを得る「非配偶者間人工授精」(AID=Artificial Insemination by Donor)は,1948年に日本で初めて実施された。以来,我が国でAIDにより出生した子どもの数は1万人とも2万人とも言われている。 そして,医療技術は目覚ましい進歩を遂げ,今では,第三者からの精子提供のみならず,卵子提供による妊娠・出産や,他人の母胎を借りて妊娠・出産する代理母・借り腹も技術的には可能で,我が国でも実施している医療機関がある。 こうした中,自由民主党内の生殖医療法プロジェクトチーム(以下「自民党PT」という。)において,生殖医療技術に関する法律案が検討され,これを自民党も了承し,議員立法として法案上程を目指しているとの報道がある。 しかし,そもそも新たな生命を作り出す技術がどこまで許されるかは,生命倫理に関わる問題であり,国民的な議論が必要なはずである。そのような議論が,提供者や母胎,ひいては生まれてくる子どもに起こりうるリスク等の正しい知識を踏まえて尽くされているとは言えない。 一方で,これまで何らの法的規制のない中で,事実先行で実施されてきた生殖医療技術が,少なからぬ当事者を苦しめる結果になってきたことから,早急に議論が深められることが必要である。 このような社会情勢に鑑み,妊娠・出産が可能な性である女性法律家から成る当協会としても,現状を座視できないと考えた。そこで,当協会内にプロジェクトチームを作り,AIDで生まれてきた子の立場の当事者,AIDで子どもを持った親の立場の当事者,精子提供・卵子提供を用いた生殖補助医療技術に携わってきた医師・看護師,世界の生殖医療の現状を取材してきた記者の話を聴いた上で,本提言に至った。 第2 生殖技術の許容性と限界 1 生命倫理と人権の観点から 自然科学ないし医療の進歩は目覚ましく,母体がなくても生命を創り出せる日も近いかもしれない。 しかし,生命・身体の健康を維持し,これを長らえるための医療ではなく,新たな生命を生み出す技術を「医療」と捉えて人間の自由にしてよいのか,またその許容範囲はどこまでかということは,十分な議論とコンセンサス(合意)が必要であろう。 2 各国の歴史を踏まえた考察 ところで,医科学の進歩との関係で人権を考える場合,当該国に固有の「歴史」の影響を無視することはできない。それは,科学の発展の歴史はもちろん,戦争や政治における医科学の位置づけや,当該社会における思想や人権保障の在り方なども含まれる。 日本は,明治以降,西洋医学を導入したが,同時に取り入れた近代憲法は,天皇主権のもと,人権を臣民の権利とするなど,医学における個々人の権利保護という概念からは程遠い医学(科学)と個人の関係を形成してきた。戦後,ナチス医学者に対する反省から生み出された医学における人権保護という国際的な潮流の中で,日本でも,ニュルンベルグ綱領の受け入れ,国民主権原理に基づき個人の尊重を中核とする日本国憲法の制定などに伴い,医学は,個々人の生命や健康の権利を保護するものとなった。その後,患者の同意を必要とするインフォームド・コンセントの普及,人権論における「自己決定権」の承認など,医学と個人の関係は変化してきた。 しかし,生殖医療技術の提起する問題は,法的な場面では,個人の権利保護の観点からのみでは考察することのできない点にその困難性がある。たとえば関連する当事者が複数存在することにより権利保護関係は複雑になり,また家族に関する法制度の枠内では判断することの難しい「子の出生」は,変化しつつある現代の家族概念を背景にしたとしても,根本的な親子関係や家族概念の再考を要請している。 同様に,医学の面でも,「生命」や「妊娠・出産」に対する医学・医療の関わり方に大きな変化をもたらしている。妊娠や出産は,「医学的操作」によって可能となるケースが増し,その可能性の歯止めをどこに,何を基準に設けるべきかが問われている。 日本は,近代医学,近代的な人権概念を輸入したが,それを支える長い西洋の歴史―ヨーロッパの啓蒙哲学が支えた「人権」哲学と「合理的な科学」概念に基づく医学の発展―を持っていないため,医科学の進展が,深く社会における哲学と結びついた経験を持たない。したがって,「生命倫理」を考察する際に,何をもって「倫理」とするかが不明確な点が最大の問題である。 こうした状況の中で,生殖医療技術,特に第三者の介入する生殖医療技術の法制化において考察すべきは,個人の権利保護に加え,ヨーロッパにおいては当然とされる「医学が社会に与える影響」であろう。個々人の権利の保護を基盤としつつ,生命の尊厳,家族,という人間社会において重要な概念と,「個々人の自己決定権」や「生命・身体の商業化」,「生命の選別」などに対し,医学の「治療」という理由によって判断して良いのだろうか。そうした問題に答え,医学における生命の扱い方に一定の基準を設けることが,「法制化」の役割であろう。 3 女法協としての考え方 私たち女性法律家の中にも,そもそも精子提供や卵子提供も自然の摂理に反することとして否定的な考えもある一方,子を持ちたいという切実な親の気持ちを叶える医療技術としてこれを肯定する考えもある。 いずれの立場であれ,妊娠・出産が,個人の幸せを追求するものでなければならず,少子高齢化対策というような国家・社会的利益のために利用されてはならないという考えでは一致できる。したがって,あるべき法制度を考える場合には,生まれてくる子ども,生殖医療技術を利用する者,配偶子を提供する者等,関係するすべての個人の尊厳と権利を害することがないような目配りが必要である。 そこで,精子提供,卵子提供,代理出産のそれぞれの技術について,これを(生殖補助)医療として認めるべきか否かについて検討する。 (1)精子提供について わが国でAIDにより生まれた子は,正確な記録がないものの,1万人とも2万人とも言われている。そのため,今さらこれを禁止することは非現実的なのではないかという見方もあるが,改めて,その許容性について考えてみたい。 一定の技術を医療として許容するか否かを考えるに当たっては,生まれてきた当事者の声を無視してはならないと考える。 近年,AIDで生まれてきた当事者たちが,成人後に自らの体験を語り始めた。AIDで生まれたことを長年隠されて生きてきた人たちは,親の病気や離婚などをきっかけに,ある日突然,自分の父親と思っていた人が遺伝上の父親ではないことを知らされた時の衝撃を,異口同音に「これまで積み上げてきた人生が土台から崩れてしまった」などと表現している。そして,心身の健康を害し,心の葛藤を抱えながら人生をやり直すことがいかに困難かという体験を語っている。我が国ではこれまで,AIDは匿名でなされてきているので,もはや遺伝上の父を知る術はない。そのため,「母親と“精子”からできている自分」の存在価値を肯定できないという声まである。中には,結婚して子どもが生まれている人もいるが,ルーツの分からない血を自分の子どもにまで繋ないでしまったことに,大きな後悔を覚えていると語る人もいる。 生殖医療技術の在り方を議論するに当たっては,実際にAIDで生まれてきた人たちの中に,自分の生を肯定できていない者がいるという極めて重い現実を,きちんと受け止めるべきだろう。 それでは,出自を知る権利が保障されるような具体的な制度設計ができれば,AIDを医療として肯定することができるのだろうか。 この点,AIDで生まれてきた当事者の中には,自分の生を肯定できないのは,出自が分からないという理由からだけではなく,「仮に遺伝上の父を知ることができたとしても,自分はそういう方法で生まれたくなかった」と,第三者が関わる生殖技術自体に否定的な考えを持っている人がいることも知るべきだろう。 誤解のないように付言すると,技術を否定することは,決して,現に生まれてきた生命を否定することではない。現にこの世に生を受けた人は,どんな生まれ方であれ,あるいは仮に障がいを持っていたとしても,みな等しく「生まれてきて良かった」と思えるように,その生を全うするために必要な支援を受ける権利がある。これは,AIDで生まれてきた人だけでなく,男女の性交渉の結果として生まれてきた人も同じである。 一方で,この医療技術を使って子どもをもうけ,子どもにAIDの事実を告知した上で,幸福そうな家庭を築いている当事者がいるのも事実である。 両当事者の話を聴いた私たちの目からは,両当事者はどうやっても根本的なところで理解し合えず,相容れない立場のように見受けられる。したがって,単純に生命倫理という点から,これを肯定するのか否かは,結論が出ない。 しかし,すでに多くの生命が誕生してきたAIDを今さら否定することが現実的か,という問題がある。AIDは簡単な技術であるがために,医師免許がない一般人でも,インターネット上で精子を売買して施術することも可能なのである。そのため,これを禁止し,その結果として,AIDで生まれてきた子どもの権利保障のための制度的手当をしないことは,結局,現実にAIDで生まれてきた多くの子どもの権利(後述のごとく,中心は「出自を知る権利」)が侵害されている状況を放置することになってしまう。 そこで,我々としては,AIDを一定の要件の下で許容した上で,出自を知る権利を保障するための制度的手当を早急に行うことが必要であると考えるに至った。 そこで,AID許容の要件であるが,以下のように考える。 1) 精子提供を受けるカップルの要件 AIDを受けるカップルの限定AIDを受けることのできるカップルは,法律上又は事実上の婚姻関係にある男女に限るべきである。そして,そのカップルの男性が医学的に不妊の場合(男性不妊)に限るべきである。 生物学的な女性同士のカップルがAIDで子どもを持つことは,現時点では時期尚早と考えるが,将来,女性同士のカップルが子を持つことを社会が当然のことと受け容れ,生まれてきた子どもが奇異の目にさらされない社会が実現すれば,要件の緩和を検討すべきである。 2) 提供回数の限定 生まれてきた子どもが将来,自分の遺伝的なきょうだいと,それと知らぬ間に恋愛し婚姻するリスクを可及的に避けるため,一人の男性の遺伝子を引く子をあまりに多数生み出すことは許容すべきでないことから,一人の男性が精子を第三者に提供できる回数は10回を上限とすべきである。 (2)卵子提供について 卵子提供については,精子提供に比べて,提供者が被る身体的侵襲が大きいという点で,精子提供と同列に論じてよいのかどうかが問題である。 すなわち,卵子提供を行うためには,排卵誘発剤を使うこと,注射針を刺して卵子を取り出すこと,一人の女性が持つ卵子の数には限界があるところ,これから妊娠出産の可能性がある若い女性から多い場合には一度に数十個も卵子を採取してしまうことにより,提供者が将来的に不妊になるおそれはないのかなど,医学的にも必ずしも卵子提供は安全だと言い切れないようである。 しかも,他人の卵子を母胎に戻した場合に母胎への悪影響がないか,ひいては胎児への悪影響がないか,という点についても,問題を指摘する声はあるが,我が国では十分な検証がされていないところである。 このようなリスクを踏まえ,現時点の医学的知見を前提に(将来,現時点では判明していない危険があることが分かった場合には,中止することが必要な事態もありうる),卵子提供が認められるのは,以下の要件を満たす場合に限る,とすべきである。 1) 卵子提供を受けるカップルの要件 卵子提供を受けるカップルは,法律上又は事実上の婚姻関係にある男女に限るべきである。 そして,医学上の理由(病気)により,排卵がない場合に限るべきである(女性の加齢により生殖能力が低下したという場合は認めない。)。 なお,生物学的男性同士のカップルが卵子提供を受けて子どもを持つには,代理出産の方法によるしかなくなるが,後述のとおり,代理出産は認めるべきでないことから,生物学的男性同士のカップルが卵子提供を受けることは許容すべきではない。 2) 卵子提供者の要件 卵子提供により将来不妊となるおそれも払拭できないことから,卵子提供者は,出産を経験し,今後の出産を希望しない女性に限定すべきである。 3) 匿名性 近親者からの提供は,親子関係が複雑になるので認めるべきではなく,匿名提供に限るべきである。 4) 提供回数の限定 提供者の身体的リスクに鑑み,1人の女性がなしうる卵子提供は,一生に2回までに制限するべきである。 (3)代理出産について 代理出産は,肉体的・精神的に大きな負担を伴う妊娠・出産のみを第三者である女性に負担させる行為であり,あたかも女性の身体を「生殖のための道具」とするものであることから,女性の尊厳,ひいては人間の尊厳を踏みにじるものとして反対する。 代理出産が有償で行われる場合に,出産する女性の経済的搾取という事態が引き起こされることが人間の尊厳に反するのはもとより,無償であっても,女性の身体を「生殖のための道具」扱いすることは許されない。   第3 多様な家族の在り方 私たちの現時点の到達点は上述のとおりではあるが,法制化に当たっては,改めて,当事者の声を踏まえ,身体的なリスクをも踏まえた上で,生命倫理上,どこまでのことが許されるかを国民的な議論の下で考えることが不可欠である。 その上で,一定の生殖技術を医療として認めるのであれば,それは,子どもを生み出し,家族を創る在り方の一つとして,社会で受け容れることが必要である。 これまでのように,AIDを男性不妊の事実を隠すための技術として使い続けることは止めるべきである。我が国社会に多様な家族の創り方を受け容れる覚悟がないならば,技術の許容は時期尚早ということになろう。 一定の生殖技術を用いて子どもを生み出すことを一つの家族の創り方として認める前提として,夫婦が法律上の婚姻をして,自然的生殖によって子どもが生まれた家族を「在るべき家族像」とするのではなく,多様な家族の在り方が肯定されるべきである。例えば,事実婚,同性婚,子どものいない夫婦,血のつながらない親子(養子縁組を含む)などを家族の在り方として認めるということである。 そもそも,我が国でAIDが広く行われてきたのは,戸籍上,嫡出子と扱われるので,親が口をつぐんでいれば,夫婦の秘密を生まれてきた子どもを含めて他人に隠しておけるからである。そのように,嫡出子という形にこだわり,非嫡出子を差別する社会,また養子(「家のための養子」ではなく「子どものための養子」)を受け容れられない社会の在り方を変えていくことが必要である。 そのためには,そもそも現行民法や戸籍法にて嫡出子・非嫡出子の区別があることから見直す必要があるだろう。 また,家族の絆を家族の「同姓」に求め,選択的夫婦別姓さえ認めようとしないのが我が国の法制度であるが,家族の絆は姓のいかんに関わらず,また「夫婦」の形は男女とは限らないことも含め,「夫婦」の在り方も見直すべきである(ちなみに,女法協は,1997年に,選択的夫婦別姓制度の導入を要望している。)。 そのような根本的な価値観の見直しと相まって初めて,生命を人間の作り出した技術で生み出すということが許されると考える。 第4 子どもの人権保障 1 生まれてきた子どもの人権保障の重要性 AID等の生殖技術が内包する一番の問題は,生命の誕生に,生まれてくる子ども自身は何らの意見表明ができないということである。 したがって,そのような方法で子どもを生み出すことを社会として是認する以上,生まれてきた子どもの尊厳を守るための手当は,社会の制度として整えられていなければならない。 2 出自を知る権利は人権として保障されていること 前述の当事者の話を聴いて分かるのは,自らの遺伝的ルーツ(出自)を知りたいという欲求は,一般に人間の根源的な欲求であるということである。人間がアイデンティティを確立し,人格を形成していく上での基礎となるのが出自である。すなわち,出自を知ることは,個人の尊厳に関わることから,出自を知る権利は幸福追求権(憲法13条)の一内容として,憲法上保障された人権であると言えるはずである。 しかし,これを行使する術がなければ画餅であるので,第三者が関わる生殖技術を医療として実施する以上,生まれてきた子どもが自らの出自を知る権利を具体的に行使できるようにするための制度的手当をすることが不可欠である。 なお,出自を知る権利の具体的な保障に抵抗を示す意見として,「知らない方が幸せなこともある」というものがある。しかし,当の本人が,とにかく知りたいと言っているのに,それを阻止する権利はだれにもないはずである。もちろん,権利を行使するかどうかは,本人次第である。調べようと思えば調べられるけれども,あえて調べないという選択をする人がいてもよい。問題は,調べようと思っても調べられないという現状である。 また,出自を知る権利を保障すると,提供者が減少するので困るという意見もある。しかし,出自を知る権利の保障を法律で制度化した他国においても,確かに,いったん提供者が減少しても,また復活したという例も報告されている。そして,匿名で提供されていた時代にはアルバイト感覚で提供していた人が多かったが,匿名が認められなくなると,すでに子どもを持ち,他人にも子どもを持つ喜びを分かち与えたいという「慈善」的な動機で提供する人が増えたという報告もある。 そもそも,提供者は提供するもしないも自由だが,生まれてくる子どもは生まれるか否か,どのような方法で生まれてくるかを選べないのであるから,提供者減少のおそれは,生まれてきた子どもの出自を知る権利を制約する正当化根拠にはならないと考える。 3 出自を知る権利の中身 出生した子どもが知ることのできる情報については,各国の法制度により,遺伝情報に限り,個人特定情報を開示しない国もある。 しかし,AIDによって出生してきた子どもたちの声を聴くと,知りたいのは,単なる遺伝情報ではなく,また戸籍情報が分かればよいというわけでもなく,遺伝上の父を「一目見たい」「会いたい」「“精子”ではない“人間”として感じたい」ということである。 すなわち,遺伝上の親が人間であることを感じることができるということが,まさに自己のアイデンティティーの確立のために不可欠なのだと理解できる。 したがって,出生した子どもが,提供者に会いたければ会うことができる情報(具体的には現住所)が,公的管理機関によって保管され,それに子ども自身がアクセスできることが不可欠である。 もちろん,提供者の目の前に,ある日突然遺伝上の子どもが現れるという事態は望ましくないので,公的管理機関が面会を仲介し,さらには面会に際しての心の準備など,必要な支援ができる体制が整備されることが必要である。 4 出自を知る権利を具体的に保障するために必要な制度的手当て そこで,生殖技術を医療として行う以上,公的管理機関を設置して提供者情報を管理すること,及び,生まれてきた子どもが一定の年齢に達した場合には,自らその情報にアクセスできるようにすることなどが必要である。 1) 公的管理機関の構想 公的管理機関を設置し,同機関に第三者の関わる生殖医療技術を実施する医療機関の認可,実施の際の判断,並びに利用者及び提供者の同意や提供者を特定する情報などの情報の一元管理などの機能を持たせるべきである。 生殖医療技術の重要性やその影響の大きさから,現状のように個々の医療機関が独自の判断で実施し情報を保管するような体制とすることはできない。生殖医療技術の適正な利用を図り,濫用を防止するためには,公的管理機関を設けるとともに,生殖医療技術を利用する医療機関,医師等の認定を同機関が判断するものとするべきである。また,同機関においては,倫理委員会等の組織を設けて,第三者の関わる生殖医療技術の具体的な実施について可否を判断する機能を持たせるべきである。 また,第三者の関わる生殖医療技術の利用に関する情報,具体的には利用者,提供者がこれらの技術を用いることに同意した事実や,提供者を特定する情報などは,出生した子どもの法的な地位を定め,子どもの出自を知る権利を保障する上で,不可欠な情報であり,その管理もまた,実施した医療機関ごとに行うべきではない。これらの情報は,全て公的管理機関において一元的に管理する体制とすべきである。 2) 告知(テリング=telling) 出生した子どもに対し,第三者の関わる生殖医療技術を用いたことを利用 者から告知することを担保し,告知を支援するための制度を構築するべきである。 出生した子どもに対して第三者の関わる生殖医療技術を用いた事実自体を秘匿している限り,出生した子どもが出自を知る権利を行使する契機を得られず,結果として,出自を知る権利を行使できない状 態に置かれてしまう。 第三者の関わる生殖医療技術によって出生した当事者(親の立場からも子の立場からも)からは,出生の経緯を秘匿されること自体がもたらす葛藤が語られ,早期に第三者の関わる生殖医療技術を用いた事実自体を告知することの重要性が指摘されている。出生した子どもの権利と尊厳を守る上では,出自自体を知る以前に,第三者の関わる生殖医療技術を用いた事実自体を告知されることは極めて重要であると考えられる。 もとより,第三者の関わる生殖医療技術を用いた事実の告知は一律になされるべきものではなく,その子の年齢や家族の状況に応じて,その親,すなわち利用者から行われることが望ましいと考えられる。 しかし,利用者の意思に任される場合には,利用者が第三者の関わる生殖 […]

選択的夫婦別姓と再婚禁止期間廃止を内容とする 民法の早期改正を求める会長声明

 2015年(平成27年)12月16日、最高裁判所大法廷は、夫婦同氏を強制する民法750条について、直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできないとして、憲法13条、14条1項、24条のいずれにも違反しないと判断しました。 一方、同じ日、同裁判所大法廷は、女性にのみ6か月の再婚禁止期間を定める民法733条については、100日を超過する部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとして、憲法14条1項、24条2項に違反すると判断しました。 その後、さる3月7日、女性差別撤廃条約の実施状況を審査する国連の女性差別撤廃委員会は、日本政府に対する勧告を含む「最終見解」を発表しました。その12項で、「差別的な法および法的保護の欠如」と題し、「委員会は、現存する差別的な規定に関するこれまでの勧告への対応がなされていないことを遺憾に思う。委員会はとりわけ以下のことを懸念する。」とし、この中で、昨年の上記最高裁判所大法廷の2つの判決に関して、夫婦に同一氏の使用を強制している民法750条の合憲性を支持したこと、この規定により、実際上多くの場合女性が夫の氏を選ぶことを余儀なくされていることを挙げています。そして13項で、夫婦の氏の選択に関する法制の改定によって女性が婚姻前の姓を保持することができるようにし、離婚後の女性の待婚期間を完全に廃止することを一刻も早く行うよう強く要請する、としています。差別撤廃条約を批准している日本としては、条約の完全実施に向けたこの委員会勧告は、憲法第98条2項の趣旨からしても、極めて重いものであり、真摯に受け止めるべきだと考えます。 社会の多方面にわたる変化に伴う家族・家庭生活の多様化と、結婚後も従前の活動を継続し、また働き続ける女性が増加するなど、女性の様々な部門への社会進出が著しくなった1975年(昭和50年)の「国際婦人年」以降、国内においても両性の実質的平等を実現する内容への民法改正が大きな課題となっていました。国連の女性差別撤廃条約の批准による国内法整備という背景もありました。 当会は、1950年(昭和25年)に設立された女性法律家団体として、公正・公平で活力のある法治社会の発展と、女性の地位向上等を目指して、これまで調査・研究や意見発表を行ってきました。1995年(平成7年)1月20日には、法務省民事局参事官により公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱案」に対し、夫婦の氏については選択的夫婦別姓の規定の導入に、女性のみに課した再婚禁止期間については規定の全面撤廃に、それぞれ賛同する野田愛子会長名の意見書を同局同参事官に提出しています。その後も、1996年(平成8年)に法制審議会が法務大臣に答申した、選択的夫婦別姓導入や再婚禁止期間の改正等を内容とする「民法の一部を改正する法律案要綱」にもとづく民法改正の早期実現を求める横溝正子会長名の要望書を1997年(平成9年)10月に発表しています。 家族や親子・夫婦のあり方は多様化し、結婚後も女性が社会で活動することが普通になっている現状のもとで、氏の変更による自己のアイデンティティーの喪失や、それまでに形成された個人の信用や評価、自尊感情の維持が困難になる不利益の存在は、最高裁判決でも認めているところです。実際、司法の分野で働く女性も、日頃からこの不利益を実感しているところであり、通称使用の広まりによってその不利益が一定程度緩和されるとの見解にはまったく正当性はありません。夫婦同氏を強制されるために婚姻届を提出しない事実婚夫婦や、結婚をためらう事態まで生じている現状で、夫婦同氏以外を認めない現行の規定の違憲性は明らかです。 再婚禁止期間についても、実務上DNA検査によって父子関係を科学的・客観的に明らかにできるようになった現在、再婚禁止期間を設ける必要性はまったくないと言えます。 よって、国会はすみやかに、民法750条については、選択的夫婦別姓を盛り込む法改正を、同733条については再婚禁止期間を全面的に廃止することを、それぞれ求めるものです。 2016年(平成28年)3月18日 日本女性法律家協会 会長   紙 子 達 子

「民法の成年年齢の引下げについての中間報告書」に関する意見書について

岡部 喜代子 慶応義塾大学教授 2009年6月  法制審議会民法成年年齢部会は民法の成年年齢の引下げについて審議し、昨年12月にその結果を中間報告書として取りまとめた。平成21年1月30日を期限にパブリック・コメントの募集があったので、有志による数回の議論を重ねて、以下の通りの意見書を提出したものである。 このような審議がなされるに至ったのは、平成19年5月に成立した日本国憲法の改正手続きに関する法律第3条が「日本国民で年齢満18年以上の者は、国民投票の投票権を有する。」と定め、合わせて同附則3 条に「満18年以上満20年未満の者が国政選挙に参加することができること等となるよう、選挙権を有する者の年齢を定める公職選挙法、成年年齢を定める民法その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする」とされたことが契機となっている。これを受けて法務大臣から法制審議会に諮問がなされ、同会は民法成年年齢部会を設置して検討を重ねた。 報告書は、項目としては「民法の成年年齢を引き下げた場合の影響及びとるべき措置」「民法の成年年齢引下げの当否等」「引下げをする場合に必要となる施策の実行について」等、全体として引下げが前提であるかのような観を呈しているが、その内容はほとんど両論併記であった。また、若干検討項目の不十分あるいは内容の不明瞭な記述もあり、民法の成年年齢の引き下げという重大問題の審議としては物足りなさを感じた。今後なお十分な検討がなされることを期待する。 » 民法の成年年齢の引下げについての中間報告書」に関する意見書

「民法の成年年齢の引下げについての中間報告書」に関する意見書

平成21年1月30日 日本女性法律家協会有志 会長 曽田 多賀  「民法の成年年齢の引下げについての中間報告書」に関し、以下のとおり意見を述べる。 I 結論 民法の成年年齢を引き下げることに反対である。 II 理由 1 民法の成年年齢の引下げについての中間報告書(以下「報告書」という)第2、2(2)について 「現代の日本の社会においては、高校卒業後に就職し正規の労働者となる者も多く、また、大学等に進学する者も多くがアルバイトをしており、18歳、19歳の若年者の大多数は、働いてそれなりの賃金を得ている。また、これらの若年者の中には、高校卒業後に親元から離れて暮らす者も多い」との認識については、問題が多いと考える。国勢調査の結果の「働いていて(アルバイトを含む)、親と同居していない者の比率は…約6.7%」であったというが、これは多いといえるのだろうか。また、アルバイトは生計の助けではあろうが、その収入のみによって生計を立てているわけではない。そのような賃金収入を、生計を立てている収入と同様に扱うことは妥当なものではない。18,19歳の若年者の大多数は、働いてそれなりの賃金を得ている、との認識は、統計上の資料もなく、また正規労働とアルバイトを同列に扱うものであって、正確なものではない。ちなみに、平成17年度の国勢調査の結果によれば、全18歳年齢者のうち就業者の割合は約20.7%である(平成17年国勢調査・第3次基本集計・報告書掲載表第25表)。 正規労働とアルバイトを合計するとある程度の割合になるとしても、そのことと成年年齢の引き下げとが直ちに結びつくものではなく、保護の要否の観点から検討を加えるべきである。さらに「親元から離れて暮らす若年者にとっては、契約をするために親の同意を要しなくなるメリットが生ずる」としているが、保護から外されるというデメリットを無視するものである。 2 同第2、2(2)について 消費者被害が拡大するであろうことが容易に推測できることに全く異論はない。そして、未成年者であるが故に取消しが容易であるという現行の制度が外された場合、悪質業者がそれを見越して18,19歳をさまざまな商法のターゲットにするであろうことも想像に難くない。つまり、現在の統計から推認する被害よりも拡大する恐れが大きいことも考慮に入れるべきである。 3 同第2、3について 3(1)の親権からの解放の問題は、親権の停止など親権制度の柔軟な構築ないし運用によって賄うべき問題である。 3(2)において、精神医学的な見地から、「成年年齢を引き下げ、自己責任を強調することは、欲求不満耐性が高い我が国の若年者を追い込むことになる」との指摘は「欲求不満耐性が高い」との趣旨が、欲求不満状況における忍耐力が弱いとの意味であれば全くそのとおりであると考える。当協会会員の日常接する若年者・学生に対する見方も、大方は上記精神医学者の見方と合致するものであった。社会が複雑化しているという状況も影響しているものと考えられる。 4 同第2、4について 各種施策については必要なものであり、全く異議はない。しかし、これらは、成年年齢引下げに論理的に結びつくものではない。引下げなくとも行われるべき施策である。 5 報告書第3、1について 「我が国における若年者の自立を援助するための施策は欧米諸国に比して不十分であると考えられる。/そこで、このような現状認識のもと、若年者の社会参加、自立を促すという観点から、民法の成年年齢を引き下げるべきであるとの意見が出された」とある。 しかし、これは論理が全く逆転している。民法の「成年」とは、自己の法律行為の効果ないし結果を判断することのできる精神的能力があると認められる年齢である。そのような精神的能力が18歳で備わっていると認められるから引き下げるという論理であれば理解できるが(その事実認識には同意しないが)、認められないがそれを備えさせるために引き下げるというのは、理論的に成り立たない。その後の記述にもあるとおり、引下げによって自立が促されるとは限らない、計測困難であるとの指摘が正鵠を得たものである。社会参加の必要性は参政権の問題であって、成年年齢の問題ではないとの意見ももっともである。 6 同第3、2について 虐待は18,19歳より低年齢児の問題であり、18,19歳は引きこもりや家庭内暴力が問題とされる年齢である。親権からの解放より、むしろ親権による保護の喪失および親の義務からの免脱をより問題とすべきである。 7 同第3、3について 国民投票法において投票年齢が18歳以上とされ、附則において民法の成年年齢の引下げの検討が求められたことはそのとおりである。しかし、国民投票法において18歳以上とされた趣旨はできるだけ多くの国民が主権者として決定に参加する資格を有することが望ましいとの観点である。これに対し、民法の成年年齢は、法律行為の効果ないし結果の判断能力があるか否かという観点であって、一致させなければならないという理由はない。投票は、投票権が生ずるという国政への参政権を認めるものであるが、成年となるということは、種々の権利も生ずるが保護が失われるという不利益も大きいものであって、国民投票法の投票年齢と別個に検討すべき事柄である。未成年者に選挙権を付与することは違法とは言えないことは報告書にあるとおりである。 現在公職選挙法における選挙年齢が20歳以上であることから、20歳未満の若年者の利益が政治に反映されないという問題があることは否定しない。この場合に、成年年齢を引き下げるという途もあるが、未成年としての保護を与えつつ、若年者の意見を反映させるために選挙権を与えるという方法もありうる。その場合は、政治に関し意見を述べるに足りる能力が認められる年齢を基準にすべきことになる。それであれば、多くの者が高校3年に在学又は就職する18歳とすることは合理的といえよう。しかし仮に、一致させることが望ましいとするのであれば、民法の成年年齢の引下げから生じうる弊害に照らせば、むしろ国民投票法における選挙年齢を民法の現在の成年年齢に一致させることも考えられることを付言する。 8 同第3、4について 諸外国において18歳としていることが日本において18歳とすることの根拠となるものではない。18歳と定めている国にはその国特有の事情があるのであって、それが日本においても適合するとの事情が成立するとはいえないのである。大学進学率はどうなのか、大学における親の学費負担割合はどの程度なのか、18歳で親元を離れる率はいかがか、徴兵年齢は何歳なのか等、背景事実についてきめ細かい比較検討が必要であろう。 9 同第3、5(1)について そもそも、立法意見として、18歳とする必要が特にあるとする意見が多かったわけではない。アンケートで反対意見が多いのもうなずけるところである。多くが反対しているにもかかわらず、成年年齢を引き下げて保護を撤廃することは避けるべきである。「若者の社会参加、自立を促すという目的が正しければ、必ずしも国民の意見の大勢に従う必要がないのではないか」との意見もあるとのことであるが、その目的に合致する立法は、社会参加を認め、自立を促す施策を実施することであって、成年年齢を引き下げることではない。多くの国民が20歳を成年として妥当と認めているときに18歳を成年とすることによる弊害として、法と現実とのかい離という問題が生じ、18歳、19歳の若年者をいかに保護していかなければならないかという法律上、実際上の多岐ににわたる施策上の問題が生ずるであろう。 10 同第3、5(2)について 成年年齢を引き下げることの影響は非常に大きいものである。本報告書ではその一例として少年法の問題が挙げられている。もちろんこれも大きい問題であるが、他にも多数存在し、その影響を慎重に吟味する必要がある。 民法に限っても、大きな影響がある。親の扶養義務が未成熟子、多くの場合は原則として未成年者に対して負うものであることからすると、親がまだ養育を必要とする子を放逐する事態が容易に生じることとなるおそれがある。18歳、19歳の子を親が原則として扶養しなくてよいという社会情勢であるのか疑問がある。 他の法律への影響を検討する場合、各法律の目的と機能に応じて適用年齢を考えればよいとの意見もあるかもしれない。しかし、他の法律が現在の民法の成年年齢を基準としていることについて問題があるとの指摘は為されていない。すなわち現行20歳のままであれば民法の成年年齢を基準にすることができるのである。法制度としても現行法制の方が優れているといえる。 11 同第4、1について 年齢の引下げにかかわらず、各種施策が必要である。しかし、現在でも基礎的な学習時間が不足しているような状況で各種施策に向けた授業時間数の確保は容易ではない。実際は実現性がないであろう。仮にこれが実現可能であったとしても、その消費者教育がなされれば年齢を引き下げてもよいということにはならない。成年年齢は法律行為についての総合的な判断力に関する問題であって、悪徳商法から免れればよいということと同義ではないのである。 大学進学率が50%を超え(短大を含む)、学生で20歳を迎える者も少なくないほか、18歳で就職し自立生活している者についても、直ちに成年とするよりは、成年となるために2年間の準備期間が必要であると考える方が本人の保護になるのである。早期に成年になることが望ましいのではなく、十分な準備期間をおいて自立を待つことが望ましいのである。 12 第4,2について 成年年齢引下げに反対であるので、意見を述べる必要がないのであるが、仮に引き下げられるのであれば、?案に賛成する。 13 第4,3について 成年としての判断能力を備えるための教育はもちろん必要であり、それは消費者関係の教育のみであるわけではなく、自立した社会の構成員となれるような法教育等が必要なことは指摘されているとおりであるが、実際上これを達成するためには学校教育のほか、家庭における教育、社会教育等の種々の施策が必要である。しかし社会の複雑化、家庭の教育力の衰えなども考慮すると、これらの教育及び施策によって成年年齢引下げの実現が可能となると見通しを立てることは到底困難である。 14 第5について 引下げに反対であるので意見を留保する。 15 第6について 養親適齢としては少なくとも20歳になることが必要であると考える。 16 第7について この問題は、成年年齢を18歳に引き下げることと本質的な関連性はないものと思われる。 17 第8について 記述のような制度は不要と考える。 18 まとめ 以上のとおり、成年年齢の引下げに反対である。 以上 » 関連記事:「民法の成年年齢の引下げについての中間報告書」に関する意見書について